峯龍と日光東照宮の不思議なご縁


日光東照宮の御神体動座事件

 

堂主、峯龍の母の実家でもあり、自身が生まれた長野県飯縄町(牟礼)には、日光東照宮との不思議なご縁が伝わっております。

 

飯縄町牟礼にある菩提寺が火災により、過去帳や位牌などは焼失してしまいましたが、数点の資料を基にその概要を記しておきます

明治維新前夜、戊辰戦争の戦火が日光東照宮に及ぼうとしていた時のこと。

 

日光東照宮は、徳川家康公を御神体と祀る江戸幕府最大の聖地でした。

戦火に巻き込まれれば、どうなるか。

 

そんな前夜、日光東照宮の御神体と神宝を守るため、密かに持ち出した人がいました。

日光東照宮別当、大楽院貞侃(だいらくいんていかん)大僧都です。

 

この事は後に「御神体動座事件」として歴史に記されています。

会津藩の護衛に護られながら、貞侃は御神体と神宝と供に栗山村を経て会津、古寺、東北へ移動しました。

七か月後、幕府が天皇に大政奉還したことで、戊辰戦争は終結。

戦争が終結したことを受け、貞侃らは再び日光東照宮に御神体を還座すべく日光へ向かいます。

しかし、現在の栃木県大田原市のあたりで貞侃は行方を告げることなく、密かにその場を立ち去ります。

 

御神体と神宝は日光に還座されましたが、貞侃は行方がわからないままになってしまいました。

当然のことながら、日光東照宮、輪王寺も御神体を戦火から守った貞侃の行方を探しましたが見つからないまま、その行方は謎となっていました。

 

大楽院貞侃大僧正の行方は何処に・・・

事実は、貞侃の生まれ故郷である現在の長野県飯縄町(牟礼)に戻り、 余生を送っていたことが、親族の口伝を手掛かりに判明しました。

 

それが今から30年前のことです。

当時の栃木新聞はこの記事を大きく紙面に報道しました。

 

現在の平成30年からみて、約150年前に大楽院貞侃は日光東照宮の別当として任に当たり、その任を全うされた僧侶であり、峯龍の先祖となります。

 

秩父曼荼羅小屋ではその偉業と供養のためにお勤めをさせていただいております。